岩沼からの手紙 2015年1月


年明け最初のイベントとしてコンサートを開くことになっていて、その準備で仮設住宅や下野郷の集落を回った時のことである。仮設のイベント等を管理するサポートセンターの事務室に立ち寄ると、サポートセンターのスタッフから「2015年を表す漢字一文字を、筆を取って書いてみませんか?」と、言葉をかけられた。その場では、「思いついたら・・・」と濁すようにして仮設の配布に入ったのだが、その最中に思い付いてしまい、配り終えてから筆を取ることにした。

ただ、肝心のコンサート自体はその頃の寒暖の差で風邪を引いてしまい、全く関わることはできなかったのだが… その思い付いた漢字は「転」という字だった。宮城の南部は集団移転や復興住宅への転出が進み、2014年でも多くの人が仮設から出ていったが、2015年でも多くの人が仮設から離れ、そこに残る人はほとんどいなくなる。そのような方々のことを表し想うような言葉として「転」を選んだ。

 

 被災地のこれからの課題の一つとして、転出した方々やこれから転出する方々のことがある。

 

仮設住宅からの移転は、転出によるコミュニティの喪失に繋がる。仮設住宅ではこれまであっコミュニティが生かされ繋がりが幾つも生じた。それが失われ、転出先の新たな地では、田舎では町内会等の当然の様にあるコミュニティが形成されていない、あるいは希薄な状況となっている。場所によっては近隣住民と言葉を交わす機会もほとんどないようだ。

これまで当然としてあった人の繋がりが突如として消えることは、強い孤独を生む。これを理由に復興住宅に入ったにもかかわらず、以前の親しい関係を求めて引っ越しを考える人もいるとそうである。

 

また、集団移転の様な形式だと、集落内の事情を知るゆえに格差による妬みが生じ易い。同じ災害を受けたにも関わらず人と比べて損をしたということを納得できずに影口を言い、その想いを他者に訴えている。その間に立たされる人はたまったものではないし、その陰口を言われている本人がまた聞きしてしまうと目も開けられないようなギシギシとした関係が生まれてしまう。このような話を聞き、仮設から出ることを待ち望むと同時に不安を覚える人も少なくない。

この状況に対して何を為せるのか、これまでの関係をどう生かすのか、移転先でどう繋がれるのか、こういった課題に向き合っていく必要がある。

 

「転」という言葉には「転ずる」ようにという祈りも込めた。

震災の影響が苦悩のみではないように「災い転じて福となる」という言葉に掛ける意味で。また、被災者の幸いを願い、それが為されるためには「天」に委ねていく必要があると、音を合わせていたりもする。

主に祈り委ねていこう。