岩沼からの手紙 11月(1)

最近ふと感じたことがある。朝どりに足を運ぶ頻度が減ったなぁ、と。

そうなった理由としては、下野郷にEM関連の活動を広げようと試行錯誤中なので、どうしてもボランティアセンター付近に目が向いてることもある。が、一番の理由は朝どりが朝どりだけで物事を回すようになったからだと思う。


ピザ窯作成中。試してから年内に稼働予定
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「地域のコミュニティの場に」と願って再建した朝どりは、FaceBookでの繋がりや町内会としての繋がりなどなど、日々コミュニティの輪を広げているようだ。勿論、その物事の中に僕自身が組み込まれることもあるが、それはボランティアという立場ではなく、僕個人の立場で何かを為している。朝どりはボランティアとして手伝いに行く場所ではなくなった。

ボランティアとして何もできなくなったというわけではないが、被災地や復興という名目ではなく、地域や農村振興という関わりで行う様な形式へと変わってきているのだろう。MSR+というボランティア団体を終えて、岩沼チャペルとして地域の一員としての活動目指すように。

そういう意味で、朝どりは僕個人が遊びに行く場所に変わった。ただ、自身の問題なのだが、昔から理由もなく足を運ぶということが苦手だということで遊びに行くことに遠慮を覚えているように思う。特に、押しに弱く夕食までお世話されてしまうような立場では。

しかし、そういう想いを知った時にふと思った。被災地に足を運ぶことを躊躇う人も同じなのかなって。為すべきことが無いのに時間や金銭を割いて足を運ぶことに価値はあるのか、個人や家族が遊びに行くだけで相手方に益はあるのか、僕は自身のこととするとそのような想いを想像する。

このような言葉に対してはこう応える。被災地は忘れ去られつつあり、寂しさを覚えて人を求めている、それを憐れみ想い支え合う関係に価値があるのだ、と。

中途半端に関わりすぐに失われてしまう関係なら、初めからなかった方がましだったと思えるほどの悲しさを与えるのだと思う。そういう意味で、自分の想いを改めなければならない

もし理由が欲しいなら、キリスト者としてすべきことを行うだけで良いのだ。Good Newsを、良き知らせを、福音を届けよう。今の時期はクリスマスが近いのだからそういう賛美歌を贈り、それを受け入れてもらうことだって容易だ。

主が与えたくださった関係を純粋に楽しもう。


朝どりのお犬様。このぐらい人間も自由にあれたら・・・・
朝どりのお犬様。このぐらい人間も自由にあれたら・・・・