岩沼からの手紙 2014年9月(1)

黄色に染まる水田は秋を語る。その実りは重く体に堪えた

MSR+では家向かいの区長から震災後に作付けが始まってから毎年米を買っている。今年は自分達の口に入る米の田植えも手伝い、刈入れも手伝って欲しいと声をかけてくださった。黄色に染まる水田は秋を語る。その実りは重く体に堪えた。

 

 当日は天気が守られ、秋晴れの空の元で刈入れを行った。乾燥機の容量が34石となっており、例年だとそれが5反歩程で満たされるらしく、それを目標として1町区画の刈入れを始めた。順調に行くように思えたが、途中の機械トラブルで時間を取られ、乾燥機の容量一杯まで刈ることはできなかった。結果として、乾燥機の都合もあり合計三日の刈り取りとなった。

やはりと言うか、こういう場に携わらないと気付かない事情が幾つもあり、稲作に対する見方が少し変わったように思う。

 

 

近年、米の仮渡し金という言葉が騒がれるようになった。

その言葉を初めて聞いたのは、区長から米を買う時の値段設定の参考として農協との資金のやり取りがどうあるのかを教えてもらった際だった。農協に米の出す農家は農協に米を委託する形となり、その引き渡しの際に仮渡し金という概算金を受け取る。売れればそれ以上を得るが、売れ残ればそれしか受け取れない。その仮渡し金から肥料や農薬などの支出を差し引いたものが手元に残るのだが、その金額が今年は暴落した。区長の作付けした「ひとめぼれ」は25%の減となっている。金額にすると、1俵あたり2800円減の8400円となり、これは震災後に一旦値上がりした分を取り下げ、それ以前の値よりもいっそう低い金額となった。

この暴落の主な原因は農協の在庫増加のようだ。1俵あたりの売り上げが9000円を切ると経営が成り立たない、という以前聞いた話を区長にしたところ、それでも採算が合わず赤字だろうと言っていた。農協に出荷する農家は米を作っても赤字になる時代になってしまったらしい。昔は正しいと考えられたやり方が今は誤りであるかのようだ。己で販路を切り開かなければ生き残れなくなるだろう。経営者としてどう選択し努力していくかが今後の鍵となる。しかし、地方の農業者の多くは年を重ね、そのような気力を持とうとしない。

 

日本は飽食の国で、飢えに苦しむ人など皆無だと言っても過言ではないように感じる。それ故に、若い世代では食に興味が薄く、軽んじる傾向が強い。「米を洗う」という言葉から洗剤を用いて米を洗う者がいるという実話がある程に。

食に興味が無い者にとっては、農業が労苦は地方の天気情報よりも価値が劣るかもしれない。稲作は多くの高齢者の労働の上にある。地方に生きる者の苦悩は陽の目を見ない。

身の回り物事に感謝を覚えることは容易に思えるが、それは思うよりも難しい。

本当に感謝すべき物事の多くは目に映らず気付きにくいのだから。主に感謝の祈りを己の想いの全てをもって捧げたとしても、それ以上の物事を主は備えてくださっている。文字通り、全ての物事に感謝できる程に。神と人の前に感謝を。