by Tadashi

2015年

2月

28日

宮城南部復興支援の今後の活動に向けて

現地スタッフ:小寺 義

過去に緊急支援が終わりを見せ、今は具体的な支援場所として簡単に目に映った仮設住宅が閉鎖あるいは数を急激に減らしている。そのような中で何を為すのか、ボランティアの立場と役割が問われるような時となった。

 

MSR+のこれまでの活動を踏まえて来年度の目指すものとしては、具体的にこれといって形になると確信を持てるようなものはなく、むしろ新たに築く年度になっていくのではないかと想いを抱いている。その根本とあるのが、ボランティアの拠点として岩沼の地が与えられ、これまで関係を持ってきたことの意味とこの関係の行きつく先が何なのか、主の計画はどのようなものなのか、これを祈り求めて見出せるようにという願いである。

 

幻を語るのであれば、拠点のある下野郷という集落で、キリスト者を中心としたコミュニティを築くことを目指していきたい。福音を言葉により伝えるには自身の経験が足りず、何より言葉により福音を受け入れられるようなキリスト教の基礎知識が地域の方々に備わっていない。過去に福音が告げられていたのは分かるのだが、士師記であるようなそのことをしらない世代となってしまったように感じる。言葉に寄らず、行いによりキリスト者として証し、イエス・キリストを信ずる者がどのような者であるのかを示していきたい。目指すのは、彼等に分かる形で観言葉を伝えること。

 

また、支援により再建した産直「朝どり」のコミュニティとの関係もより強く持っていくことだろう。朝どりに集う方々の中で、集団移転後の方々を励ますような想いが挙がり、その具体的な試みを行おうとしている。このことは先日語りあったばかりで動き始めたばかりだ。簡単に言葉で表すと、お茶の時を持って楽しく話そう、ということになる。そして、その中で、内に秘めた想いや悩みを外に出してすっきりしてもらいたい、引きこもらず外に出てもらいたい、といったことを目指している。ただ、これはある程度の関係性を築いてから為せることであり、そこに至るまでの知恵も必要となってくる。何かイベントを開いてその場に誘ったり、訪問やチラシ等で声をかけられるようにしたり、どうすれば表に出てこない本当に苦しんでいる人と関係を築けるか、そのための知恵を求めている。その働きの中で、悩みや苦しみを知っている顔にはなかなか打ち明けられないけど、外から来た人になら想うことを何でも話せるのではないかと、その役割を担うのにMSR+も協力してほしいという提案もあった。語るだけならば時間は短くて済むが、それが具体的な形となるにはまだまだ時間が必要となることだろう。被災者のためにと目的を持って開かれた貸し農園は、集団移転により距離が縮まり、具体的に動けるようになった。それがどのような活動となるのか、期待して主に求めていきたい。

 

直に、あの震災から満4年を迎える。MSR+の活動が始める際に、最低5年は続けなさいと言われたその期間を最低限満たす年となる、また5年という年は、復興10年という考え方もあり、それに従うならば、折り返しを前にした最後の年となる。復旧・復興という言葉を人に当てはめるのであれば、震災により更地となったまま何も築くことができていない人もいれば、震災以前の様な景色を取り戻した人もいる。物は満ちたが、人はまだまだ足りていない。個人という単位が重要となる年だと思う。

2015年

2月

20日

岩沼からの手紙 2015年1月


年明け最初のイベントとしてコンサートを開くことになっていて、その準備で仮設住宅や下野郷の集落を回った時のことである。仮設のイベント等を管理するサポートセンターの事務室に立ち寄ると、サポートセンターのスタッフから「2015年を表す漢字一文字を、筆を取って書いてみませんか?」と、言葉をかけられた。その場では、「思いついたら・・・」と濁すようにして仮設の配布に入ったのだが、その最中に思い付いてしまい、配り終えてから筆を取ることにした。

ただ、肝心のコンサート自体はその頃の寒暖の差で風邪を引いてしまい、全く関わることはできなかったのだが… その思い付いた漢字は「転」という字だった。宮城の南部は集団移転や復興住宅への転出が進み、2014年でも多くの人が仮設から出ていったが、2015年でも多くの人が仮設から離れ、そこに残る人はほとんどいなくなる。そのような方々のことを表し想うような言葉として「転」を選んだ。

 

 被災地のこれからの課題の一つとして、転出した方々やこれから転出する方々のことがある。

 

仮設住宅からの移転は、転出によるコミュニティの喪失に繋がる。仮設住宅ではこれまであっコミュニティが生かされ繋がりが幾つも生じた。それが失われ、転出先の新たな地では、田舎では町内会等の当然の様にあるコミュニティが形成されていない、あるいは希薄な状況となっている。場所によっては近隣住民と言葉を交わす機会もほとんどないようだ。

これまで当然としてあった人の繋がりが突如として消えることは、強い孤独を生む。これを理由に復興住宅に入ったにもかかわらず、以前の親しい関係を求めて引っ越しを考える人もいるとそうである。

 

また、集団移転の様な形式だと、集落内の事情を知るゆえに格差による妬みが生じ易い。同じ災害を受けたにも関わらず人と比べて損をしたということを納得できずに影口を言い、その想いを他者に訴えている。その間に立たされる人はたまったものではないし、その陰口を言われている本人がまた聞きしてしまうと目も開けられないようなギシギシとした関係が生まれてしまう。このような話を聞き、仮設から出ることを待ち望むと同時に不安を覚える人も少なくない。

この状況に対して何を為せるのか、これまでの関係をどう生かすのか、移転先でどう繋がれるのか、こういった課題に向き合っていく必要がある。

 

「転」という言葉には「転ずる」ようにという祈りも込めた。

震災の影響が苦悩のみではないように「災い転じて福となる」という言葉に掛ける意味で。また、被災者の幸いを願い、それが為されるためには「天」に委ねていく必要があると、音を合わせていたりもする。

主に祈り委ねていこう。

2015年

2月

09日

岩沼からの手紙 12月№2

年末合宿参加者の集合写真。20 名程の学生が集った。
年末合宿参加者の集合写真。20 名程の学生が集った。

キリスト者学生会(KGK)という団体を知っているだろうか。

KGKは大学生生活の中でクリスチャンとして聖書を学び、祈り、伝道し、成長していく、そのような個の活動を日本という全体へと繋ぐ役割を担っている。全国は9つの地区に分かれていて、東北地区は東北6県に新潟県を加えた7県で構成されている。

東北地区では、年末に一泊ないし二泊の合宿を開きテーマを設けた学びを行っているが、今年度のテーマはプロテスタントについて知ることだった。自分達がプロテスタントとして信仰を持っていることは知っていても、プロテスタントは他の教派と具体的にどう違うのかを詳しく知る機会はなかなか無い。良き成長の時となるように、普段できないことを学ぼうと設けたテーマである。今回、僕はその場にキッチンワーカーとして携わった。

キッチンワーカーだったので学びの機会に直接かかわることは少なかったのだが、仙台市内の東方正教の教会とカトリックの教会を訪問する時に、車の運転手としてその学びに触れることができた。

それぞれの教会の責任ある方が、教会の成り立ちや礼拝の形式など様々な話しをしてくださったのだが、訪れた教会はいずれも戦前からあり、宣教のルーツや仙台空襲からの再建といった「教会の歩み」から「現在の教会の活動」まで、一貫した歴史を教わった。


その中には同じキリスト教でありながら、それぞれの異なる部分というものを幾つも感じた。僕が特に感じたのは、「伝統的な礼拝」を行うということだった。

「伝統」とされた物事を単に形式として守るだけなら、それは礼拝と呼べるものではなくなってしまう。形式だけになってしまわないために、彼らは聖餐式や復活祭など一つ一つの意味を忘れないよう、厳しく内側にある意味を守っていた。それは日々の聖句や祈りまでに及び、信仰生活の自由度は小さくされている。自分の意志や行為を主に委ねるという意味では、己の想いを生贄として捧げることが彼等の礼拝の本質としてあるのかもしれない。


そういう礼拝の姿を見ると、プロテスタントとしての礼拝はどのように自分の想いを主に捧げるのか、それが問われているように感じた。プロテスタントの礼拝は形式的な部分は多くない。教会によっては、意味の無い伝統や古い形式を除き、現代に受け入れられるような形式へと礼拝の形を変えている所もある。

しかし、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、この言葉のとおりに礼拝を捧げることに変わりはない。言い換えるなら、どうすれば個人として、教会全体としてより強く主へ想いを向けられるか、このことが信徒のひとりひとりに、また教会ごとに問われている。


その問いに答えは無く、無数の選択肢が主より与えられている。井戸の傍らで水を汲んでいた女性がイエス・キリストに礼拝の仕方を問うたように、主に求めていきたい。


自由であるということは自由であるための責任が伴う。

主から与えられた選択の自由を悩みながも楽しみ、そして心からの礼拝を主に捧げて行きたい。

2014年

12月

31日

岩沼からの手紙2014年12月№1

今年度の目標として地域に属して生きていくことを目指していた。

これまで関わってきた物事の上にこれからのひとつひとつが積み重ねられていくことを確信し、普段の事柄がこれまで以上に見えてくるように、と。その中の一つとして、自分の生活の手段というものを求めて岩沼市の職員採用試験に臨んだ。

2次試験不合格という結果が12月半ばに告知された。自分としても残念だったが、たくさんの人が自身のことのように残念だと言ってくれた。そのことは人との関係が築かれているのだと感じて嬉しかったが、自分の目指していたことが閉ざされ、先が見えなくなったような気がした。

「岩沼に残って何かをするのか?」「他の場所で役目があるのか?」「自分には何ができるのだろうか?」

答えを出すことができずにいた。


そんなふうに思い悩む中で、岩沼市の臨時職員として同じ職場で関わった人との会話で言われた一言が胸に深く刺さった。

「残るか残らないかではなくて、小寺くんが何をやりたいかでしょう?それを達成するのが難しいなら、これまで関係を築いてきた人達に甘えることを覚えないといけないんじゃないかな。」


他にも色々と話しをしたが、衝撃を受けたのはこの言葉だった。その人はクリスチャンではないから、その『甘えるべき関係』というのは人間関係を指しているのだろうが、僕が感じたのは主との関係だった。

僕は甘えたり求めたりするというのが苦手な人間で、それは主に対しても同じだった。主への祈りは、基本的にボランティアという立場からの見方を優先し、僕個人の想いや願いは二の次としていた。今回の結果は、まるでそのことを主からたしなめられたかの様に感じられた。


これまで岩沼で過ごしてきた時間を考えると、ボランティアスタッフという「立場」は無視できないが、そこに自分自身の意志が無ければ、形式としてただ存在するだけではないのか。特にボランティア活動の規模が縮小しつつある今、自分個人としてどうありたいのか、その意志の占める割合が大きくなる。どちらも大切であり、不可欠なものだ。これまで築いてきたことと同じくらいに、これから築いていきたい自分の想いを主に願っていかなければならない。


そして、今の自分の想いを語るなら、《これまでの事》が《これから》にどのように続いていくのか、それを見届けたい、それと同時に、その中の一部としてまた隣人として叶うならば属していきたい、ということになる。


MSR+として、岩沼チャペルとして、僕自身としてこれまでに重ねてきたものは数多くある。それらを踏まえて岩沼の地で何を為したいのか。それはこれまであった活動での延長線上ではあるが、僕個人の意志としての問題もある。このことが自分の課題として意味することは、これまで希薄だった個人としての意志を、ボランティア活動などを通して築いた土台の上に据え置くことである。

僕にとって隣人とはどうあるものなのか、今一度考えなければ。その答えを主と人と向き合い、求めて行く。


田面に映る月。人も何かに映らないと自分自身に気付けない
田面に映る月。人も何かに映らないと自分自身に気付けない

2014年

12月

30日

岩沼からの手紙 11月№2

岩沼市のまちなかには日本基督教団の教会がある。ただ、自分は山形の母教会に所属しているし、祈祷会も水曜日に亘理の教会へ通っているので、市内の教会とはこれまで接点がなかった。どこか、遠い隣人のように感じていた。

ある日曜日、イベントを手伝う関係で山形の教会に足を運べなかった。そのイベントの帰り道、「たしか、日曜の夕礼拝はやってなかったなぁ」と思いながらも、念のために教会に寄り礼拝の日時を確認してみた。予想通り日曜日の夕礼拝はなかったが、その教会の祈祷会は水曜日ではなく、木曜日であることを知った。その次の木曜日に、その教会の祈祷会に足を運んだ。


互いに存在は知っていたようで、温かく迎え入れられ、それぞれの立場について語りあい、互いのために祈った。また、奇縁と言うのだろうか、その場には他にも同じように初めて来られた方がいた。卒業近い高校生で、キリスト教系の学校を経て受洗を決意したようだ。そのことを母親に話すと、反対されると覚悟していたようだが、同じようにキリスト教系の学校に通っており、むしろ勧められたと言っていた。牧師は若い方々がこうして教会に集うことが嬉しいと言っていた。


教会関係で夏にあった出来事をもう一つ。

塩釜ともしびチャペルに掃除の手伝いで足を運び、色々なものを捨てつつも物色していると、とても古く、初めて見るが身近な物と遭遇した。それはおよそ20年前の聖潮で、なんと母の文章がそこに載っていた。僕が十にも満たない時に、母が何を考えていたのか、今にして思うと全く知らない事だった。その頃の両親の想いにどのように応えられているのだろうと、その通知表を己の目で見るとするならば、残念な想いに駆られることだろう。


1994年1月の聖潮。 母の文章は婦人のコーナーに
1994年1月の聖潮。 母の文章は婦人のコーナーに

教会や家庭という環境は、どちらも神の愛を必要とする意味で区別できない。そういう意味で、日本の教会や家庭の問題として『継承』があると思う。

僕は両親の背中を見て育ち、聖書に対する確信も愛も親から教えられた。親と子の関係は師弟のように愛を享受する関係であるとも言える。弟子は師に勝ることはないが、家庭が他と繋がっていれば、人間関係の総合的な形として表れる。その関係が豊かであれば、愛は増し加えられていく。

逆に、家庭という環境が閉鎖的であるならば、子に注がれる範囲は狭く、愛の形は小さく、あるいは偏ったものとなる。その者が家庭を持ち、その家庭が閉鎖的であるとするなら、果たして愛を伝えられるのだろうか。

人の内に愛は無く、その愛を神に求めないならば、その者の愛を表す行為は空しく終わる。


愛は排他的だと言う人がいた。そのとおりだと思う。愛は温かいものだが、同時に厳しく、受け入れるべきでない物事を排除する。特に、物で溢れる現代においては無視してはならない。時間も物も事柄も何もかもが溢れて、日々選択を問われている。誤った選択をするならばそれを正さなければならないが、時代や見解の違いによる理解の差などで衝突がある。ただ、理解し合えない関係も選択の結果と言える。

伝える想いが何かに制限されて有限である以上、子共や大切な人にどのように接するかを考え、祈り委ねていかなければ。

2014年

12月

11日

岩沼からの手紙 11月(1)

最近ふと感じたことがある。朝どりに足を運ぶ頻度が減ったなぁ、と。

そうなった理由としては、下野郷にEM関連の活動を広げようと試行錯誤中なので、どうしてもボランティアセンター付近に目が向いてることもある。が、一番の理由は朝どりが朝どりだけで物事を回すようになったからだと思う。


ピザ窯作成中。試してから年内に稼働予定
ピザ窯作成中。試してから年内に稼働予定

「地域のコミュニティの場に」と願って再建した朝どりは、FaceBookでの繋がりや町内会としての繋がりなどなど、日々コミュニティの輪を広げているようだ。勿論、その物事の中に僕自身が組み込まれることもあるが、それはボランティアという立場ではなく、僕個人の立場で何かを為している。朝どりはボランティアとして手伝いに行く場所ではなくなった。

ボランティアとして何もできなくなったというわけではないが、被災地や復興という名目ではなく、地域や農村振興という関わりで行う様な形式へと変わってきているのだろう。MSR+というボランティア団体を終えて、岩沼チャペルとして地域の一員としての活動目指すように。

そういう意味で、朝どりは僕個人が遊びに行く場所に変わった。ただ、自身の問題なのだが、昔から理由もなく足を運ぶということが苦手だということで遊びに行くことに遠慮を覚えているように思う。特に、押しに弱く夕食までお世話されてしまうような立場では。

しかし、そういう想いを知った時にふと思った。被災地に足を運ぶことを躊躇う人も同じなのかなって。為すべきことが無いのに時間や金銭を割いて足を運ぶことに価値はあるのか、個人や家族が遊びに行くだけで相手方に益はあるのか、僕は自身のこととするとそのような想いを想像する。

このような言葉に対してはこう応える。被災地は忘れ去られつつあり、寂しさを覚えて人を求めている、それを憐れみ想い支え合う関係に価値があるのだ、と。

中途半端に関わりすぐに失われてしまう関係なら、初めからなかった方がましだったと思えるほどの悲しさを与えるのだと思う。そういう意味で、自分の想いを改めなければならない

もし理由が欲しいなら、キリスト者としてすべきことを行うだけで良いのだ。Good Newsを、良き知らせを、福音を届けよう。今の時期はクリスマスが近いのだからそういう賛美歌を贈り、それを受け入れてもらうことだって容易だ。

主が与えたくださった関係を純粋に楽しもう。


朝どりのお犬様。このぐらい人間も自由にあれたら・・・・
朝どりのお犬様。このぐらい人間も自由にあれたら・・・・

2014年

11月

27日

岩沼からの手紙 2014年10月(2)

岩沼チャペル活動開始時に与えられた室内看板
岩沼チャペル活動開始時に与えられた室内看板

MSR+の活動中の雑談の話題は、教会関係のものが多い。というのも、関係者に牧師が多いのだから、それも自然で当然とも言える。僕は聞く立場になる場合が多いが、今後を考えさせられることも多い。


その考えさせられたもののひとつに「教会が担うべき立場」というのがあった。

教会というのは建物ができ、そこに伝道者が属すれば教会としての役割を満たせるのではなく、地域や社会に貢献し、その一部となってからが初めて教会としての役割を満たせるようになる。

建物が備えられ、その場で伝道を始める状態というのは、教会を形成する一歩目を踏み出したに過ぎず、過程でしかない。それぞれの地域や社会には求められるものがあり、教会はそこに属するものとして地域や社会の必要に応えていかなければならない。それが教会としての在り方であり、伝道の形でもある。

また、教会に属する牧師がカリスマ性を持ち、個人でその地域や教会においてリーダーシップを発揮するよりも、その牧師が属する教会を中心としてリーダーシップを発揮する方が望ましい。なぜなら、教会の価値はその集合体として発揮される。体が頭だけでは何もできないように、体には多くのパーツが必要とされている。

と、このような牧師の方々の経験を耳に入れ、教会形成や伝道について新たな面で考えさせられた。ボランティアセンターを岩沼チャペルとして活動もしているため、自身に関係が薄いわけでもなく、将来はどのような形へ目指すべきか問われた。


MSR+のボランティアセンターは借家をそのまま使っているため、「家の教会」という方が適切かもしれない。そういう意味でも建物の中を教会として捉えるのではなく、地域の中で教会となる集合体を形成していきたいと願っている。そのためには何ができるか。下手な考えでは色々と思い付くが、それを実行に移そうと思うと難しく、また躊躇いも覚えてしまう。

だが、それと同時に確信を与えられる時もある。これをやりたいと思い、実際に形となっていっているものもある。「地の塩、世の光」、その言葉を表す者として、地域の中に属するキリスト者として為すべきものを為していきたい。伝道には福音を告げ知らせることも大切だが、主の愛を具体的に示すには自身の日頃の行いが重要だと考えている。善きサマリア人の例え話の彼のように日毎の行いに自然と愛が現れるよう努めたい。

活動初年度に行ったEM肥料作り。地域におけるこのような光景の日常化を目指している。
活動初年度に行ったEM肥料作り。地域におけるこのような光景の日常化を目指している。

MSR+のボランティアセンターは借家をそのまま使っているため、「家の教会」という方が適切かもしれない。そういう意味でも建物の中を教会として捉えるのではなく、地域の中で教会となる集合体を形成していきたいと願っている。そのためには何ができるか。下手な考えでは色々と思い付くが、それを実行に移そうと思うと難しく、また躊躇いも覚えてしまう。だが、それと同時に確信を与えられる時もある。これをやりたいと思い、実際に形となっていっているものもある。「地の塩、世の光」、その言葉を表す者として、地域の中に属するキリスト者として為すべきものを為していきたい。伝道には福音を告げ知らせることも大切だが、主の愛を具体的に示すには自身の日頃の行いが重要だと考えている。善きサマリア人の例え話の彼のように日毎の行いに自然と愛が現れるよう努めたい。

2014年

11月

05日

岩沼からの手紙 10月

10月の末にボランティアの現状を報告する機会があり、「どう言葉に表そうか」と、これまで過ごしてきた時間を振り返りながら、その時々のことを思い巡らしていた。自身の想いを再確認する意味でも地域の人と話しをしていると、ふとある言葉が心に留まった。それは「ふるさと」という言葉だった。「ふるさと」という言葉が持つ意味は、与えられた立場により異なることに気付いたのだ。それは「ふるさと」が残った者と失われた者。

 「ふるさと」が残った者は家が浸水したり半壊したりしてもそのまま同じ場所に住むことができる。一方、「ふるさと」が失われた者は元と住んでいた場所に住もうにも家を建てることができず、元の場所に戻ることができない。同じ市内に住んでいたとしてもこの両者の溝は深く幅広い。

 

震災直後からその両者の扱いには幾つも問題が挙がっていた。残った者は壊れた自宅に戻り、失った者は仮設住宅で過ごす、主にこの違いによりそれらは生じていた。

例えば、家屋の半壊と全壊では給付金の額が大きく異なり、半壊の家を修復するのに少なくない負担を強いられた。人によっては、いっそ流されてしまった方が良かった、とも感じている。また、支援物資の多くは仮設にしか届いていなかった。仮設住宅には物資が溢れていたのに、自宅に戻った人は箸の一本も貰えなかった。そう苦言を漏らす人もいた。


「ふるさと」のあり方も扱いの違いが見られる。沿岸部の家が建てられなくなった土地の多くは買い上げられた。失われた者は文字通り「ふるさと」を失った。ただ、その代価として金銭を得た。世帯により差はあるが安くはない額で土地は買い取られた。そのような状況を羨んで妬みを表す言葉が所々で聞こえるそうだ。

 

しかし、将来を見据えると、それらの境遇の差は羨む対象として捉えるべきでないことが分かるだろう。「ふるさと」が失われた者は土地を手放し、住みかを新たな場所に設けることになる。そして、仮設住宅から離れ、復興が落ち着いた時に、彼等が想うことは果たして何だろうか。

彼等は難民のように行く先も知らず、生まれ故郷に戻ることもできない。代価を得たとして、失くしたものをそれで満たすことができるのだろうか。何十年と過ごした景色や関係性を失い、見知らぬ土地となる。このような「ふるさと」の関係性を言葉で例えるとするとこうなるだろう。“わたしはあなたを知らない”と。


これまで当たり前だったものを失う悲しみは失った者にしか分からず、それを計り知ることはできない。

 

千年希望の丘の敷地内にある建物跡地。時はもう流れない。
千年希望の丘の敷地内にある建物跡地。時はもう流れない。

岩沼市の沿岸部には「千年希望の丘」が造られている。松島の島々が津波を弱めたように、津波が来た際にその威力を弱める役割を担うものとして考えられたものだ。

 

その場所には以前に人が住んでいた土地もある。津波の被害を受けた家屋の跡地をそのまま残しているものもある。そこに住んでいた人達の「ふるさと」は既に変わってしまった。

 

戻ることもできない「ふるさと」に対して彼等は何を想うのだろうか。

2014年

10月

22日

岩沼からの手紙 9月№2

         岩沼チャペル礼拝:「焼き鳥熊ちゃん」  熊田康之先生(亘理聖書キリスト教会牧師)

 

 被災地におけるキリスト者としてのあり方を考えさせられる機会が与えられた。9 月の末にフィリピンの教会形成の報告と被災地全域での活動の共有のために集まった場がそのきっかけだった。フィリピンで行われた教会形成、それはおよそ 5000 の教会が 25 年で 10 倍の 51000 の教会になるという御業を成し遂げた。その働きに携わったノエル・パントーハ師からその秘訣を聞いたが、それは被災地に向き合う者の想いに似ていた。主の御言葉が語られなければならない地では教会開拓に、伝道に危機感を覚えて教団教派関係なく一致しなくてはならない。聖書理解や考え方は違っていても、見上げる主が同じであるならば、その言葉である聖書に基づき一致するのに相違はないはずだ。

 

  被災地では、その一致が形となりつつある。その連携は拙いが、互いの活動を励ますために、問題を共有するために、他の活動を参考とするために、祈り合うために一致できる部分で積極的に一致しようとしている。その話を聞いた後、その集まった場で互いの活動の中で感じることについて話し合う機会があり、その場で「主にあるコミュニティ形成」が話題として挙がった。被災地に足を運ぶクリスチャンがその地で主にある関係を築くことの意味は、建物のない教会を形成することにいずれ到達する。仮設が終わっても、被災地支援が終わっても変わらずに受け入れ続ける関係があること、教会の担うべき役割がそれだからだ。

 

 また、集った場でキリスト者としてのあるべき活動はマタイ 11:4~5 から「求められている必要な働きをその地に為して福音を述べ伝えること」だと語られた。この時は主の働きが各地で為されているという認識でしかなかったが、この深い意味を後日聞いた説教で気付かされた。それはコヘレトの言葉 7:1~5 から語られた。これを聞いた時、被災地に赴く多くの者の想いを体現している御言葉だと感じた。他に適任者がいるだろうと己の無力さを感じ、それと同時にこの地に残ることが御心かと祈りを投げかけ、何度も思い悩み、時には涙し、絶えず前に進もうと努める。何故、被災地でそのようにあるのか、それに答えるには十分すぎる言葉だった。それらの源は主の平安をもたらしたい想いから、本物の愛によりもたらされるものだった。共にあろうとするその想いを止める手段は存在しない。多くの者が各々の祈りの中で主に遣わされ、それぞれの地で継続してその愛を伝えようとしている。 

 

震災以前、被災地沿岸部の教会はわずかにしかなく、伝道の勝手も都会とは異なっている。都会での働きを種蒔きとするなら、その種を蒔くための農地を開墾しているようなもので、都会のように実りをすぐ見るようなことは少ない。10 年先と見るのではなく、100 年先と見る、そのような働きと言われている。被災地で行われている御業は、震災というきっかけで結果として大きく関係が広まったものであるが、その実りと課題は日本全国でも同じように起こり得る。苦悩が溢れた地での活動が日本全国における伝道の励ましとなることを切に願う。